わが国が核攻撃による被曝の惨禍を被って今年で80年が経つ。8月6日の「広島原爆の日」、9日の「長崎原爆の日」を迎えるに当たって二度と核惨禍を招かせない決意を新たにしたい。世界においても核戦争を断じて許さない。それが歴史上、唯一の被爆国である日本国民の「聖使命」であろう。ならば、それをどう成し遂げるのか。「核兵器をなくせ、核の使用を許すな」といった声に核保有国の指導者が答えるほど世界は甘くない。現下の弱肉強食を思わせる厳しい国際情勢下では聞き心地のよいヒューマニズムはさほど役立たない。世界では今、核廃絶の対極の「核拡大」が猛烈な勢いで進んでいる。この現実を直視したい。
核軍拡が継続する世界の現状直視を
スウェーデンのストックホルム国際平和研究所によれば、2025年1月時点の世界の核兵器保有数は1万2241に上る(約9割は米露保有)。米国の配備弾頭数は変わらないものの、ロシアが増加させている。
中国の核兵器数は他のどの国よりも急速に増加させ現在600。23年以降、毎年約100発の新たな核弾頭を追加し、今後10年間で米露と同じ数の大陸間弾道ミサイル(ICBM)を潜在的に配備できると見られている。北朝鮮は現在少なくとも50発の核弾道を保有し最大40発を作るのに十分な核分裂性物質を所有、さらなる核分裂性物質の生成を加速させている。イランは米国とイスラエルから核関連施設への攻撃を受けたにもかかわらず、核兵器保有の野望をたぎらせている。
ロシアのウクライナ軍事侵略が核を巡る世界の認識を大きく変えた。核使用の敷居が限りなく低くなったのである。世界唯一の被爆国として核廃絶を理想としたいが、それは現実の国際情勢からみれば、空想的平和主義の類と言わざるを得ない。それよりも核兵器を使わせないようにするのが現実的である。
現下の日本は共産中国、北朝鮮、そしてロシアの夥しい数の核兵器の標的にされている。こうした野蛮国家がウクライナに突きつけたように「核恫喝」をもって日本を侵略しようとした場合、米国は本当に日本を守ってくれるだろうか。それでなくても米国の「核の傘」は揺らいでいる。少なくともウクライナのように毅然と戦わねば、あるいはスウェーデンやスイスにように国民皆兵で防衛に当たらねば、米国のみならず世界の誰も日本を助けようとしないだろう。
核廃絶とともに地雷廃絶も平和構築の理想とされているが、ウクライナのみならずロシアと国境の接するエストニア、ラトビア、リトアニアのバルト3国、ポーランド、フィンランドが対人地雷禁止条約から脱退することを決めた。ロシアの軍事侵攻を防ぐには地雷が必要不可欠と判断したからだ。中露北は同条約に加盟していないし、クラスター爆弾についても禁止条約に加わっていない。この現実も日本は直視しなければならない。
ドイツ、イタリア、ベルギー、オランダ、トルコは米軍の核兵器を自国内に配備し、有事にあってはそれを自国軍のものとして運用する「核シェアリング」(核兵器共有政策)を採っている。米国の「核の傘」に単に入るだけでなく、有事には自ら〝核保有〟となって自衛しようというわけだが、トランプ米政権から欧州の「自立」を強く促されている。