憲法記念日の5月3日、マスコミ各社は憲法を巡る世論調査結果を発表した。概ね改憲支持が護憲を上回っている。読売新聞の世論調査では「改正」が63%(昨年61%)にのぼり3年連続の6割台で、「護憲」の35%を大きく上回っている。
9条改正が国民多数の世論調査
注目したいのは9条についてである。戦争放棄を定めた9条1項を改正する必要は「ない」とした人が75%だった一方、戦力の不保持などを定めた9条2項を改正する必要が「ある」が53%で過去最多となり、「ない」の43%を凌駕している。憲法に自衛隊の根拠規定を追加する自民党案(1、2項は現行のまま)の「賛成」は56%にのぼり、「反対」40%をはるかに上回った。これが民意だろう。
左翼リベラルの朝日新聞の世論調査結果も同様で、自衛隊明記の自民党改憲案に「賛成」51%、「反対」40%であった。自民党が国会で具体的な改憲の条文づくりを進めることを他党に提案していることについて「賛成」59%で「反対」30%を圧倒している。
ここからも明らかなように自民党はつまらないスキャンダルでもたもたせず、立党の歴史的使命を想起し自主憲法制定へと邁進すべきだ。我々は創設以来、訴えているように9条は国家の体をなさない醜態条項である。第2章「戦争の放棄」の題目は、国の最高法規である憲法としてはあり得ない、まさに占領憲法を具現している。こんな題目を唱える憲法が世界のどこかにあろうか。否。どこにもない。
いずれの国も政府の第一義的使命は国民の生命と財産を守ることであり、したがって「安全保障」「国防」「国際平和と安全保障」といった章とする。戦争の放棄? ウクライナを見れば明らかなように暴虐な国が侵略した場合、戦って守るのであり、その場合、「戦争の放棄」などあり得ないのだ。
このことについては他でもない日本共産党の野坂参三氏の言葉を想起すべきである(とりわけ左翼人士よ)。1946年の憲法制定議会(同6月、第90回帝国議会)においてこう指摘した。
「侵略された国が自国を護る為の戦争は正しい戦争といって差し支えないと思う。…憲法草案に戦争一般放棄という形でなしに、我々はこれを侵略戦争の放棄、そうするのがもっとも的確ではないか」
古き共産党員は良き日本国民であったと言うべきか(もっとも野坂氏は共産党から除名されたが)。ただし9条1項で放棄したのは侵略戦争であって自衛戦争は放棄していないとされている。
すなわち最高裁は1959年、「9条によりわが国が主権国として持つ固有の自衛権は何ら否定されたものではなく、わが憲法の平和主義は決して無防備無抵抗を定めたものではない」とし、「9条1項で永久に放棄することを定めたのは、いわゆる侵略戦争である」として自衛隊違憲訴訟を退けた。
自衛の戦争とは正当防衛のことだ。刑法第36条1項が正当防衛の権利を認めており、国家も当然、正当防衛があってしかるべきで、国際社会はそう解釈する。そうであるなら集団的自衛権行使も当然、認められるべきだ。なぜなら刑法同項は「急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない」としているからだ。この「自己」の権利を防衛するための権利が「個別的自衛権」、「他人」の権利を防衛するための権利が「集団的自衛権」と解さねばならない。
本来、独立国は個別的、集団的自衛権のいずれも保有しており、いざという時に行使するのは当然の国家の権利である。これが国際常識である。こういう解説をいちいち言わねばならない9条1項はそもそも憲法条項落第なのである。