北朝鮮の金正恩朝鮮労働党総書記が韓国を統一の対象ではなく「敵対的な国家」とみなす方針に転換したと伝えられる。一部には1950年に祖父の金日成が軍事侵攻を決断したのと同様に戦争に踏み切る戦略的決断を下したとの見方もある。北朝鮮はロシアのウクライナ戦争に加担し武器輸出をするなど関係を強め、その後ろ盾を得て軍事強硬路線に転じる可能性がある。また共産中国の台湾軍事侵攻に呼応して韓国侵攻を企図しているとの見方もある。いずれの場合でも韓国の後ろ盾となっている在日米軍への攻撃や対日破壊工作が北の視野に入ってくると見ておかねばならない

 すでに我々は北朝鮮が関与した数々のテロ事件を見てきた。朴正煕韓国大統領を狙った文世光事件(陸英修夫人と女子高校生が死亡=74年8月)。三菱重工ビル爆破事件(死亡8人、負傷376人=同8月)を手始めとする東アジア反日武装戦線による連続企業爆破事件、横田めぐみさんら国内での日本人拉致(77年9月~78年8月)、有本恵子さんら欧州での日本人拉致(80年4月~83年6月)、ビルマ・ラングーン爆弾テロ(83年11月)、大韓航空機爆弾テロ(87年11月)などがそれである。金正恩が今後、こうした対日テロ・破壊工作を仕掛ける可能性がある。その備えを固める春と心得ねばならない。

文世光事件。朴正煕韓国大統領の陸英修夫人が銃撃された直後の様子

日本人を使った工作を仕掛ける

 歴史を振り返っておこう。1950~53年の朝鮮戦争による韓国赤化統一に失敗した北朝鮮が新たな軍事路線に乗り出したのは62年である。同年のキューバ危機でソ連のフルシチョフの対米妥協に驚き、同年12月、「四大軍事方針」(全人民武装化・全国土要塞化・全軍幹部化、全軍現代化)を決定し対韓工作を激化させた。

 朴正煕韓国大統領を抹殺すべく68年1月、武装ゲリラをソウルに送り込み青瓦台(大統領府)を目指したが失敗。そのため韓国は北の工作を阻止するため国境警備など強化した。それで北は韓国に直接、工作員を送り込むことが困難になった。

 そこで日本経由の対韓工作を思い立ったのである。スパイ活動に甘い日本(スパイ防止法を世界で唯一、未制定)を工作拠点に韓国赤化工作を進めようと考えたのである。

 折しも日本では70年安保闘争の最中で共産勢力が武装闘争を策動していた。その一つが共産主義者同盟赤軍派で、田宮高麿らは日航機「よど号」を乗っ取って北朝鮮に入った。同事件を通じて日本人を対韓工作に使う知恵をつけたのが金正恩の父、金正日で在日組織・朝鮮総連に対して日本人工作員を獲得するため偽装組織を作らせた。そのひとつが「朝鮮研究会」である。想起すべきはそこから「東アジア反日武装戦線」が登場してきたことだ。「東アジア反日」とは北朝鮮と韓国内の革命グループ、日本の共産主義過激派の3者一体の反日を指す。

 同戦線「狼」の佐々木規夫らは爆弾教祖といわれた太田竜の創設した「レボルト社」(『世界革命運動情報』発行)で活動していたが、そこで朝鮮革命について学習したのが在日韓国人の文世光にほかならない。

 文世光は74年2月、東京都足立区にある朝鮮総連系の赤不動病院に偽装入院し、そこで狙撃の手ほどきを受け、同5月に大阪港に入港中の北の工作船「万景峰号」の船内で北朝鮮の工作員から朴大統領の暗殺指令を得て大阪府警高津派出所から犯行用の拳銃を盗んだ。
もうひとつ北朝鮮が日本人工作のために組織したのが親朝学者グループ「キムイルソン主義研究会」で、そこで活動していた吉井行雄のパスポートで文世光は日本人として難なく韓国に入り銃撃事件を引き起こした。

 吉井行雄は「キムイルソン主義研究会」の関西責任者として81年9月に「金日成主席著作研究会全国連絡会議訪朝団」の秘書長として2週間にわたって北を訪問し、朝鮮労働党の指導を受けている。彼に日本国内でオルグされ北朝鮮にわたって、よど号犯・柴田泰弘の妻となったのが(後に離婚)、有本恵子さんの拉致を告白した八尾恵さんである。

 彼女は吉井行雄によってよど号犯グループの妻になるため77年に北朝鮮に送り込まれ柴田と結婚。よど号犯グループのリーダー田宮高麿から「日本を金日成主義化するため、革命の中核を担う日本人の獲得・育成が我々の課題」と指示され、日本人拉致に動いた。80年4月から6月にかけてスペインで松木薫さんと石岡亨さんは田宮の妻・森順子らによって拉致されたのである。

 続きはこちらからお読み下さい。(勝共連合ホームページ)

この記事が気にいったら
いいね!しよう