お盆と終戦記念日が重なる8月、我々日本人は現世だけでなく前世(過去)、来世(未来)を考える霊的、宗教的な時を過ごす。「私」が1人で存在するのではないことを心に刻む時節である。父母があり祖父母、先祖があり、子や孫へと連なっていく縦的、立体的な「私」を自覚する、いや自覚させられるのである。そこでは戦後体制が金科玉条とする横的、平面的な「個人」は何ら通用せず、むしろ虚しく響くだけである。そのことを改めて肝に銘じたい。

 お盆ではご先祖様を自宅に招き供養する。日本書紀によれば、その始まりは聖徳太子が活躍した推古14年(606年)で、「7世の父母に報いしむ」とある。父母、祖父母、曾祖父と数えて7世を供養するのである。その翌607年に聖徳太子は「敬神の詔」を出されたように仏教だけでなく古来、祖霊を祀るのが日本人の伝統であった。

 ここから「和の精神」と呼ばれる宗教的寛容性と総合性(シンクレティズム)、いわゆる神・仏・儒習合思想がもたらされ今日に至っている。お盆に故郷に帰り、先祖の霊を供養し、鎮守の森に詣でるのである。そうした行為を通じて日本人は家族を基盤とした縦的立体的な感性を培ってきた。この伝統を大切に継承しなければならない。

自虐史観の呪縛解き真の慰霊を

 ここに終戦記念日が重なる。政府は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」としているが、追悼すなわち「死者を偲んで悼み悲しむ」だけでは全くもって物足りない。そこに顕彰が伴わなければ、真の追悼とならないからだ。顕彰とは功績や善行をたたえて広く世間に知らしめることをいう。戦没者は今に生きる日本人の礎になった人々である。慰霊とともにそのことを顕彰しなければ先祖に申し訳が立たない。

 なぜ顕彰を怠るのか。それは東京裁判(極東国際軍事裁判)史観すなわち「戦前はすべて悪」とする自虐史観を植えつけられたからだ。その過〝遺伝子〟として戦後憲法を置き土産とされたが、今なおそれに呪縛されているがゆえに顕彰から逃避しているのである。

 ここから脱して靖国神社に思いを致さねばならない。靖国神社は明治維新以降、今日に至るまで国家の平安のために殉じた人々すなわち英霊を祀ってきた。生前の身分や階級、宗教、性別、年齢などを問わず、等しく戦死者や殉職者を合祀し、現在は247万柱の御霊が祀られている。

 終戦直後、連合国軍総司令部(GHQ)には靖国神社を国家神道の根元として焼却しようとする動きがあったが、駐日ローマ教皇庁代表のビッテル神父が「いかなる国家も、その国家のために死んだ人々に対して敬意を払う権利と義務がある」とマッカーサー元帥に進言し、焼失を免れた経緯がある。

 ビッテル神父の言葉にあるように国家の為に生命を投げ出し、犠牲の道を歩んだ人はいずれの国でも「国の英雄」として顕彰され、崇敬されるのである。そうした崇敬の念をわが国は伝統に則って靖国神社に合祀し体現してきた。戦後、靖国神社は国家の管理を離れて単立の宗教法人となったが、その伝統を変えてはならないのである。

 千鳥ヶ淵の「無名戦没者の墓」も忘れるわけにはいかない。どの国も戦争のために命を捧げた無名兵士のために記念碑を建てて顕彰し、自国の元首だけでなく、外国の元首が来た際には献花して彼らの霊を慰め、敬意を表するのが習わしである。仏閣に祭る国もある。そこに政治家、一般市民が随時参拝するのを習慣とする。それが世界の常識である。

 靖国神社に祀っているのは御霊であって遺骨ではない。遺骨はそれぞれの故郷にあって先祖の墓に眠っておられる。遺骨の戻らない戦没者の方々はその御霊が戻ってきておられる。個人的には先祖の墓にお参りしたり仏壇を設けて供養したりする。このようにお盆と終戦記念日が重なり、少なからず国民は先人を偲び、称えるのである。

 唯物論者はそうした心情を理解できるであろうか。人間は死んだら、跡に何も残らないのではない。霊魂不滅とされるように時には守護霊や協助霊となって現に生きている子孫を守ってくださるのである。これも共産中国などの神なき唯物論の国を除く世界の常識だ。

靖国神社に参拝する超党派の議員連盟のメンバー

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