「世界思想」3月号を刊行しました。今号の特集は「ロシア・ウクライナ戦争から1年」です。
ここでは特集記事の一部「ウクライナ戦争と日本の教訓」をご紹介します。

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  ロシアによるウクライナ侵略が開始された時、日本は地球の裏側の出来事のように見る向きが多かった。ウクライナは確かに遠いが、相手国のロシアは国境を接する「隣国」である。ましてや北方領土問題など「戦後残されてきた問題」は厳然と存在する。実はサンフランシスコ講和条約を結ばなかった旧ソ連後継のロシアとは平和条約が締結されていない。

 プーチン露政権はウクライナ侵攻後、米欧と並び制裁をかけるわが国に対し、駐日大使を通じ「報復」を警告してきた。親プーチン系野党「公正ロシア」党首が、北方領土どころか「ロシアの北海道の領有権」を主張。名越健郎拓大教授は「アイヌはロシアの先住民族」という5年前のプーチン発言とウクライナ戦争を引用し「北海道はロシア固有の領土と言い出しかねない」と警鐘を鳴らす。

 日本政府は近年、アイヌ新法の制定で「アイヌは日本の先住民族」という見解を出してしまった。だがアイヌは縄文人(和人)とオホーツク文化人との混血というのがDNA解析による科学的知見だ。しかも、樺太や北千島は、「和人とアイヌの混在の地」とされてきた。明治にこれを整理したのが千島·樺太交換条約で、日露戦争後に南樺太が日本に割譲された。

 ところでこのロシア側の無理筋とも言える「北海道領有権」論には伏線がある。日本の占領統治について米大統領トルーマンは米軍一国統治論だったが、ソ連のスターリンは分割統治論を唱えて、北海道の東半分の領有を主張。トルーマンが拒否すると、スターリンはポツダム宣言受諾後の8月18日に千島北端の占守島に上陸し、樋口季一郎中将を司令官とする第5方面軍と激突した。

 この後、北海道に向け南下する予定だったが、樋口の判断で日本軍は21日まで応戦、ソ連軍の方が大きな損失を出した。戦いの最前線で奮闘したのが「士魂部隊」と呼ばれた戦車11連隊だった。武装解除後もソ連軍は攻撃を継続。8月28日〜9月5日の間に北方4島を占領、実効支配し、現ロシアに受け継がれている。

 樋口中将の判断で北海道が守られたこと、そしてその英断は「自分の国は自分で守る」姿勢を貫くことが肝要だという教訓を後世に伝えてくれる。

3月21日、ウクライナを電撃訪問した岸田文雄首相(左)とゼレンスキー大統領(右)

 

世界で2カ国のみの「非核3原則」

 ウクライナは1990年、ソ連の軛から脱し、独立を前に国家の方向性を決定する「主権宣言」を採択した。だがそこには、「ウクライナは恒久的に中立国であり、いかなる軍事同盟にも参加しない。なおウクライナは非核3原則:核兵器を受け入れない、作らない、手に入れないことを約束する」という条文が含まれていた。

 在日ウクライナ人の国際政治学者グレンコ・アンドリー氏は、非核3原則を発表した国は世界でも日本とウクライナの2カ国だけと指摘。極度の平和ボケ状態にあったウクライナの起草者が日本に倣い主権宣言に盛り込んだのではないか、と推察し、「平和ボケと友好国への盲信が悲劇を招く」という「ウクライナの教訓」を唱えた。

 核兵器を単なる「危険な爆発物」とみなす「平和ボケ」の政治家たちが、核放棄の圧力に簡単に折れてしまったというのだ。同宣言はプーチン氏がウクライナに中立を要求する論拠ともなっている。しかし、それ以前に主権を侵害し、無抵抗の民間人を一方的に攻撃・殺戮していいはずがない。

 この非核3原則を根拠に核放棄したウクライナと米英露が交わした「ブダペスト覚書」には、ウクライナの安全保障は、米英露で責任を持つが、侵略された時は「国連安保理に諮る」とのみ記し、罰則規定もない「空手形」だったとアンドリー氏は嘆く。

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