日本共産党本部の政策委員会で安保外交部長を務めたキャリア党員の除名騒動が持ち上がった。除名されたのは松竹伸幸氏で今年1月、共産党の党首公選を主張する『シン・日本共産党宣言』(文春新書)を出版したところ、「党に敵対する行為」で党規約に背く「重大な規律違反」と断じられ2月に除名された。
普通の政党なら党首公選を唱えたところで、「党から出ていけ」とはならない。それでメディアから「異論封じ」(朝日新聞2月8付社説など)と批判され、共産党は大慌てで除名は「言論封殺」ではなく党規約に違反したことへの処分で、どのような規約を作るかは「結社の自由」であると抗弁している。噓八百の共産党だけのことはあって屁理屈を並べ立てるのは朝飯前のようだ。もとより「結社の自由」があり、どんな規約を作ろうが共産党の勝手ではある。
「民主集中制」はレーニンの組織論
だが、看過することはできない。なぜなら民主主義社会にあって党内での自由な論議すら許さない「鉄の規律」を持つ独裁政党は公党とは言えないからである。独裁政党が仮に政権に参与した場合、「異論封じ」は党内にとどまらず国民全体に及ぶのは必定である。
ましてや共産党の1党支配になろうものなら、「異論封じ」は国民全体に及び、民主主義は葬られ中国共産党政権のような「独裁国家」それも「個人独裁」に陥る。
そもそも「民主集中制」はレーニンに由来する。レーニンはブルジョアジー(資本家階級)を打倒する革命を遂行するためにはプロレタリアートの前衛たる共産党は「断固たる戦争を布告する戦闘的な中央集権的組織」(『何をなすべきか』1902年)でなければならないとし、民主集中制の組織原則を作り上げた。
これを真っ向から批判したのは、ほかならないロシア革命の最大の功労者であるレフ・トロツキー(1879~1940年)である。トロツキーは共産党の一党独裁がいずれ個人独裁となって恐怖社会をもたらすと「予言」した。レーニンが『何をなすべきか』を著し職業革命家組織の必要性を強調したとき、彼はこう言った。
「党内政治においては、この方法(前衛党論)は、やがてはわれわれが目にすることになるであろう、次の結果をもたらすことになる。まず最初に党の組織が、全体としての党を代行する。ついで中央委員会が党の組織を代行する。最後にはひとりの『独裁者』が中央委員会を代行する」と。
まるで日本共産党の姿そのものである。志位和夫委員長が20年以上も党首でおれるのも、まさにこの構図の故である。
トロツキーによれば、レーニンの前衛党論はフランス革命で恐怖政治をしき粛清を繰り広げたロベスピエールの考えそのもので、ジャコバン党特有の政治至上主義に陥り、労働者階級が政治的活動を行う潜在的能力を見放している。
皮肉にもトロツキーは、そのレーニンの申し子である「独裁者スターリン」によって国を追われ、彼の命令を受けた暗殺者によってメキシコで世を去り、身をもって独裁の恐怖を示したのである。
日本共産党も独裁の系譜を継承している。共産党の現在の路線すなわち「綱領路線」を敷いた宮本顕治元議長は、「スパイに死を」とのコミンテルン(国際共産党=実質的にスターリン)の指令に忠実に従って1933年に「日共スパイリンチ死亡事件」を引き起こし、傷害致死罪などで投獄された前科を持つ。共産党はこれを治安維持法による思想犯とし「不転向神話」を作り上げた。
現在の党路線は「綱領路線」と呼ばれるが、これは宮本元議長が1961年に党内権力を掌握し「共産党綱領」を確立してスタートしたものである。それもコミンテルン(国際共産党)指令に忠実に従っていた。