世界思想1月号を刊行しました。今号の特集は「新・海洋戦略」です。
【世界思想新連載】東アジア新事情 ー①金正恩体制を支えるチャイナ・マネー
2002年の日朝平壌宣言で北朝鮮が日本人拉致を認めてから15年。同じ年、中国・瀋陽の日本総領事館に2歳の女の子を含む脱北家族が駆け込んだ「ハンミちゃん事件」が起こった。当時領事館スタッフとしてそれを具さに目撃した極東情勢アナリストによる知られざる「東アジア新事情」を12回にわたり連載する。第1回のテーマは「金正恩体制を支えるチャイナ・マネーの存在」について
宮塚コリア研究所 上級研究員
東 清彦 氏
中国人民元が北朝鮮体制支える
問題は、北朝鮮が制裁を受けているのに、なぜ経済が成長しているかのように見えるかだ。やはりその大きな背景としては、お隣の経済大国である中国の存在なくしては語ることはできない。結論から言えば、中国の人民元、つまり、チャイナ・マネーが北朝鮮体制を支えているからだ。
チャイナ・マネーがまず入り込んだのが北朝鮮の「チャンマダン」。「チャンマダン」とは、わかりやすく言えば、「市場」のこと。
資本主義国では当たり前のようにあるものだが、北朝鮮を建国した故金日成は1969年に国家がすべての商品や農産物を生産し、全
人民に供給できるようなれば、いずれは消滅するものだと語っていた。
つまり、国家が人民の生活をきちんと面倒見れば、商品を売り買いする「市場」は必要なくなるというロジックだ。ところが、指導
者の意図とは逆に1990年代の経済危機をきっかけに国家が人民を食わしていくことができなくなるにつれ、「チャンマダン」が
徐々に生活の糧となった。
消滅するはずのチャンマダンが体制の血流に
この「チャンマダン」が当時経済発展の著しい中国経済とリンクした。きっかけは2002年に北朝鮮が新たな経済政策を導入した
から。それ以降、「チャンマダン」には、メイド・イン・チャイナと共にチャイナ・マネーがどんどん流入するようになり、「いず
れは消滅する」はずだった「チャンマダン」は、2003年に「総合市場」として公認されるまでになった。
だが、「チャンマダン」は中国から体制に都合の悪い情報や文化までも一緒に取り込んでしまう。これを憂慮した二代目の指導者・金正日は生前、「チャンマダン」の規模を拡大させまいと硬軟織り交ぜた規制をとってきたが、そのすべてが徒労に終わってしまった。
三代目の金正恩は少し違っていた。「チャンマダン」を体制の生き残りの手段として取り込もうと試みたのだ。それは実に簡単なことだった。チャイナ・マネーを堂々と使えるようにしたのだ。今では「チャンマダン」で人民元のお札が1元単位から使われている。これにより「チャンマダン」は活気づき、いまでは北朝鮮全土に436カ所(2016年現在)に広がり、その数は今も増えつつある。チャイナ・マネーは金正恩体制の血流となった。
急激に資本主義が根づく北朝鮮
10年以上前に脱北した友人は次のように語ってくれた。「最近の脱北者は、われわれとは全く違う。われわれは資本主義の『資』の字
も知らなかったので韓国社会で苦労した。だが、いまの脱北者はすでに資本主義が何たるかを身につけている」。北朝鮮社会は我々が
考えているよりも大きく変化しているのである。
ところが、賢明な読者の中には、それでも疑問を持つ方がいるかもしれない。「北朝鮮では制裁で外貨収入が減っているではないか。
いくら幹部連中や成金でもどこにあれだけのカネがあるものか」。 ごもっともだ。幹部連中が蓄財したからといって、たかが知れてい
る。しかも制裁が続く中、貿易活動は鈍っており、外貨収入も激減しているはずだからなおさらだ。そこで登場するのが、前述のチャ
イナ・マネーだ。
1400キロにわたる長い国境線を共有する北朝鮮と中国は、国際社会がいくら制裁をかけても約60億ドル(2016年)前後の貿
易規模を維持している。しかも、北朝鮮にとっては全体貿易の90%以上を中国に依存している。さらに中国側の資料によると、中朝貿
易における銀行間の決済は全体の20~30%程度で、残りは現金決済によるものだという。それだけ日常的にチャイナ・マネーが現金で
中朝間を往来していることを意味している。スマホ決済で現金を持たない生活が日常化しつつある中国ではあるが、皮肉なことに北朝
鮮の「チャンマダン」では毛沢東の肖像画が入ったお札が重宝されているのだ。
行き場を失った中国アングラマネーを不動産が吸収
さらに重要なことは、中朝関係筋の話によると、不動産市場に流れてくるチャイナ・マネーがどうやらアングラマネーらしいというのだ。少し古いデータではあるが、中国の地下経済の規模は中国のGDP(国内総生産)の3割にも匹敵する9兆2600億元(約156兆3700億円)にものぼるという試算(2010年)がある。
このうち8割が中国の富裕層が脱税による着服したマネー。中国の富裕層はこうしたマネーをなんとか海外に移そうと躍起になってい
るが、中国の取り締まり当局は腐敗撲滅を掲げて阻止に乗り出している。いたちごっこは今でも絶えない。
たとえば、このアングラマネーを海外に送金する「地下銀行」が毎年のように中国で摘発されている。過去最大の案件としては、2
015年に浙江省金華市で摘発された「地下銀行」で、4100億元(約6兆9240億円)規模の資金を違法に海外に送金していた
という。その他、大小様々な「地下銀行」が中国全土で摘発されている。つまり、中国のアングラマネーは、当局の厳しい取り締まり
と海外送金の規制により、行き場を失っているというわけだ。そこでこのマネーを吸収しているというのが、北朝鮮の不動産市場とい
うのである。
制裁下の平壌市内に高層アパート群が立ち並ぶ背景には、中国との貿易・密輸でもうけた「アングラマネー」の存在が欠かせない。
制裁に二の足を踏む中国の事情
中国はその気になれば、北朝鮮体制を崩壊寸前のところまで締め上げることは理論的に可能であり、制裁決議の内容をきちんと実施することもそれほど難しいことではない。なのに、なぜかそうしようとはしてこなかった。もちろん、北朝鮮体制の崩壊に伴う混乱リスクを避けたいがためではあるが、その背景の一つに多額のチャイナ・マネーが「チャンマダン」や不動産市場をはじめ、北朝鮮国内の隅々に行き渡っているからではなかろうか。
金正恩もそれを知っているからこそ、核・ミサイル開発の手を緩めることなく、「核保有国」の道を突き進むことができるのかもしれない。しかしながら、中国政府も最近ではかなり本気で締め上げにかかっている。2016年9月からは中国業者が北朝鮮の縫製工場で委託加工して輸入している衣料品までも輸入禁止に踏み切った。中国で働く北朝鮮人労働者も滞在ビザの更新が難しくなっている。中朝貿易ビ
ジネスの現場では、悲鳴に近い声を上げている。
さすがの北朝鮮もこのままでは徐々に息苦しくなるのは目に見えており、対話による突破口を考えていてもおかしくはない。交渉相
手はビジネスマンであるトランプ米大統領。いまは互いに強気の態度で煽っているが、いずれはどこかで手打ちを始めるのではない
か。
「ハンミちゃん事件」の真相が書かれた書籍(左)と、東清彦氏の共同著書「朝鮮半島有事への日本の対応」
新連載 東清彦氏「東アジア新事情 ー①金正恩体制を支えるチャイナ・マネー」(世界思想1月号掲載)
●国連制裁決議に反し経済成長する謎
●中国人民元が北朝鮮体制支える
●消滅するはずのチャンマダンが体制の血流に
●平壌に高層住宅が立ち並ぶカラクリ
●不動産開発業は北朝鮮版投資ファンド
●急速に資本主義が根づく北朝鮮
●行き場失った中国アングラマネーを不動産が吸収
●公式貿易額相当の中朝国境での密貿易
●制裁に二の足を踏む中国の事情
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