北朝鮮を「地上の楽園」と宣伝され、それに勧誘されて日本人妻約6千人を含む9万3千人以上が北に渡った「北朝鮮帰還事業」は歴史に刻まれた反人道行為である。1959年から79年まで北とその出先の在日組織・朝鮮総連が策動し、それに日本のマスコミが加担しウソ偽りを巻き散らして善良な人々を「地獄」に送り出した許されざる蛮行である。このことを改めて想起したい。
本連合は創設(1968年)当初から一貫して北朝鮮の残虐行為を非難し、その革命拠点である朝鮮総連を追及し、朝鮮大学校の正門前で勝共理論講義を行う一方、新潟港では「万景峰号」で北朝鮮に帰還する人々に「北朝鮮は地獄。今すぐ逃げよ」の一大運動を展開した。だが、大方のメディアはこの声を聞かず、拍手喝采で北送船を見送ったのである。
北朝鮮帰還事業の「虚偽」認定判決
帰還者たちは上等の背広に腕時計、各種の電化製品を持ち込み、女性はパーマをかけ、みんな栄養が行き届き、清潔で色白だった。ところが、「楽園」でそれを出迎えた北朝鮮人民は安物のスフで作られたヨレヨレの人民服で、腕時計をはめた人は一人もおらず、栄養不足で風呂にも入れず浅黒く、痩せて不潔そのものであった。帰還者は「楽園」に疑問を抱く間もなく工場や炭鉱行きを命じられ地獄の生活へと落とされたのである。
日本人妻は「楽園」の実態に驚愕した。唯一の心の支えにしたのは「すぐに里帰りができる」との朝鮮総連の宣伝文句だったが、それはすべてウソであった―。
こうして「地獄」に落とされた人々のうち、脱北に成功し日本に戻った人が現在、北朝鮮政府を相手取って損害賠償請求裁判を起こしていることを忘れてはならない。それは2003年に脱北した川崎英子さん(81)ら脱北者4人で、「虚偽の宣伝」で勧誘されて北朝鮮に渡ったが、当地で抑圧され言語に絶する過酷な生活を強いられたとして北朝鮮に計4億円の損害賠償を求めている。
これに対して昨年3月、東京地裁は訴えを退ける不法判決を下した。同判決は北朝鮮側の4人への行為について①虚偽の宣伝で勧誘された②出国させずに在留させたに分け、①は除斥期間(20年)が経過しており賠償請求できない②は国外の行為で日本の裁判所に管轄権はないと訴えを退けたのである。これは現状認識に欠く門前払いの冷たい判決と言うほかない。
これを不服として原告は控訴したのは当然のことである。その控訴審で東京高裁はさる10月30日、一審判決を破棄し①と②について「継続的な不法行為」と判断し、侵害は当初は日本で発生しているため管轄権は日本にあり、地裁でもう一度審理すべきとの画期的判決を下した。原告側の全面勝訴で、判決は帰還事業を勧誘した宣伝を「虚偽」と明確に認めた。
朝鮮総連は帰還事業について「(在日朝鮮人は)異国での苦しい生活にピリオドを打ち、発展する社会主義祖国に帰国して力いっぱい働き、何の心配もなく学びたいという熱烈な希望を持った」とし、金日成主席(当時)が58年9月の建国10周年記念大会で「朝鮮人民は、日本で生きる道を失い、祖国のふところに帰ろうとする、かれらの念願を熱烈に歓迎する」と演説したとして全国で帰還キャンペーンを展開し、法務省、厚生省、日本赤十字社、地方自治体、議会などへの要請運動を繰り広げた(『朝鮮総聯』在日本朝鮮人総聯合会発行=1991年)。
これに日本のメディアは諸手を挙げて賛成し、北朝鮮を「地上の楽園」と書きまくり、日朝の赤十字社の間で帰還協定を調印させ59年12月14日に帰国第一次船を新潟港から出港せしめた。朝日新聞のごときは同日付夕刊1面トップで「北朝鮮へ無事船出 歓呼浴び九七五人」と喝采記事を掲載した。新聞の「虚偽宣伝」の代表例である。
朝日は「地上の楽園」と書いたばかりか、「韓国=悪」「北朝鮮=善」の論陣を張り、1971年9月には編集局長が訪朝し日本のメディアで初めて金日成主席と会見。これを実現させるために同年2月に朝鮮総連の要請を受け入れ北朝鮮の表記を「朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)」と記し、他紙を追従させた。
ちなみに新聞が「北朝鮮」に戻したのは産経が1992年、読売が1999年だが、朝日は北朝鮮が日本人拉致を認めた日朝首脳会談3カ月後の2002年12月28日付からで実に30年以上も「共和国」と呼び続けた。